協力隊から開発コンサル、そして起業へ~合同会社CHEZA共同代表 半井真明さん#2
今回インタビューしたのはアフリカの子どもたちに向けて教育事業やスポーツ事業を行うCHEZAの共同代表を務める半井真明さん。
第2弾では半井さんのこれまでのキャリア、経験に迫ります。
半井真明(なからい まさあき)
大学院で建築計画学を学び、国内の都市計画コンサルタント会社に入社。
その後、28歳で青年海外協力隊に参加。
ザンビア国・地方自治住宅省に配属となり、都市計画事業の推進・現地スタッフへの技術指導にあたる。
帰国後は開発コンサルタントに就職し、東南アジア・南アジア・アフリカを中心にJICAやWorld Bankなどの専門家業務(都市計画・インフラ開発・企業の海外進出支援など)に従事。
直近の3年間はケニアに駐在し現地法人の取締役を務めるなど、企業マネージメントや業務の総括などに携わる。
2020年(38歳)で帰国し、共同代表・雨宮氏と共にCHEZAを起業。
教育とスポーツをテーマに日本と東アフリカをターゲットに事業を展開。
*本インタビューは2020年9月時点での取材内容となります
青年海外協力隊での経験
青年海外協力隊に参加された理由を教えてください
理由は2つあります。
1つ目は、開発コンサルタントになるためのステップアップにしたかったからです。
海外実務経験と語学を磨いて、開発コンサルタントになることを考えていました。
しかし、当時勤めていた会社では、そのようなスキルを身につけられる環境ではなく、転職を検討していました。
2つ目は、より困難な環境で自分の経験や技術を活かしたかったからです。
新卒で入社した会社では国内の都市計画・再開発業務が主な仕事でした。
仕事の多くは都心の都市計画や再開発事業で、やりがいもあり、本当に多くを学ばせて頂きました。
私の技術の基礎はここで培われたと思っています。
その意味でも、粘り強く指導頂いた上司や先輩方には本当に感謝しています。
当時は、都心での業務に従事しながらも、地方大学で都市計画を学んでいたので、頭の片隅ではここで学ぶノウハウをいつか地方都市に還元することを考えていました。
いつか自分が習得した経験や技術を、より困難な環境で活かしたいという想いが強かったと記憶しています。
このように元々興味があったのは国内の都心と地方の格差です。
しかし、当時通っていた本屋の都市計画の書籍コーナーの隣に国際開発関係の書籍コーナーがあり、ふとそこに手を伸ばしました。
それがきっかけで地方都市よりも途上国はよっぽど困難な環境だろうなと思うようになり、徐々に途上国へと気持ちが引っ張られていきました。
以上の2つのことを考えていた矢先に、青年海外協力隊で都市計画のポジションの募集があるのを知り、応募したというのが協力隊に参加した経緯です。
ちなみに、都市計画というポジションは少ないみたいです。
私が派遣された当時は、全世界に2,000人以上が協力隊員として活動していましたが、都市計画隊員は私含めて3人だけだったと思います。
そういう意味でも、思い立ったときに自分の専門とマッチするポジションがあったことはとてもラッキーだったなと改めて思います。
青年海外協力隊に参加してどんなことを感じましたか?
『豊かさとは何か』についてたびたび考えさせられました。
現地の人々は、日本に住む人々よりも幸せそうに見えました。
彼らは、確かに物質的には日本人よりも恵まれてはいないのですが、自分の置かれている環境や人間関係を楽しむのがとても上手です。
協力隊として派遣されてすぐは、こちらから指導をするんだという気でいましたが、結局多くを学んだのは私の方でした。
同僚が「今の給料じゃ、家族や親戚を養うこともできなくて…」と愚痴をこぼしつつも本当に笑いの絶えない暮らしぶりを目の当たりにしました(実際は養えているんですが…笑)。
それを見て、先端の便利な都市やインフラを作ることが唯一の答えではなく、彼らの身の丈にあった開発を模索する道があってもいいのではと思うようになりました。
むしろこの場合は、現地の人々と課題解決のプロセスを共有し、何をどのように作るのかという考えを現地の人に根付かせ、彼ら自身がそれを使って彼らに合った社会をつくっていくというアプローチが重要です。
そのことに気が付けたことが、その後の自分自身を考える上で、貴重な財産になったと思います。
協力隊の経験は、その後半井さんにどのような影響を与えましたか。
人材育成に力を入れるきっかけになりました。
それまでは、自分がどのように技術を高めるか、プロジェクトの中で重要なポジションに就けるかを意識していました。
しかし、プロジェクトで一緒に働く現地スタッフに対し、自身が持っている技術や経験を伝えることを密かに業務プラスアルファのミッションとして自分に科すようになりました。
担当業務以外に、技術指導コンテンツを作り現地スタッフを指導をする。
当時は大変でしたが、このときの経験がCHEZAの事業にも活きていますし、回りまわって今に繋がるというのはおもしろいですね。
開発コンサルタントの経験
開発コンサルタントを見越して協力隊に参加したとのことですが、なぜ開発コンサルタントの仕事をしたいと思っていたのですか?
自分が仕事をすることで、恩恵を受ける方々の顔が見える環境で仕事をしたかったからです。
自分の専門性を活かして、現場に行って活動する職種が私の理想でした。
開発コンサルタントは、現場での業務実施がメインなので私には合っていたと思います。
実際、協力隊から帰国して就職した会社では国内をベースに定期的に海外の現場に出張したり、現地駐在で海外の現場に近い環境で働いたりしていました。
開発コンサルタントから社会起業家へ
開発コンサルタントから社会起業家になった理由を教えてください。
私にとって開発コンサルタントという仕事は、自身の専門性や収入などのバランスを考えるとベストの職業の1つだったと思います。
その一方で、年齢や経験と共に、大型案件に従事する機会が増えました。
またプロジェクトのマネージャーとしての仕事も増え、政府高官とやり取りをする機会の方が多くなり、現地住民と接する機会が減ってきていました。
少し川上に進んでいっていたイメージです。
今後この道を極めるのか、それとも現地の方に近い位置で働くのか。
ある種の分岐点に立っていると感じました。
私は、迷った時はよりチャレンジングかつ楽しいと思える道を選びたい派です。
そのため、これまでの経験を活かしてもう1ステップ踏み出し、社会起業によって社会に貢献していくチャレンジを選択することにしました。
CHEZAは現在、神戸市に拠点を構えていますが、2年後にはルワンダにも拠点を開き、現地での活動を本格化する計画でいます。
そのため、開発コンサルタント時代よりも現地に入ることになるので、より現地に根ざした活動を展開していきたいと考えています。
起業の際にはどのような不安がありましたか。
市場調査や経験測からある程度需要を見込んでいました。
しかし、実際に事業をスタートさせてみないとリアルな反応がわからなかったので、その点は不安に感じていました。
特に私たちの場合は、起業を検討していた時は海外にいたので、国内ターゲットの反応や人脈形成がし難いという難しさがありました。
逆に現地の動向は掴みやすい環境にいたので、この点は一長一短ですね。
小規模ながらも組織の経営をしていく上で今後も不安はつきものだと思いますが、前職で取締役を経験したことも活きてくるのではないかと思います。
これまでどおりの生活をしていたのでは味わえないこの環境を、せっかくだから楽しめればと思います。
その不安はどのように乗り越えましたか。
私自身は長年に渡るコンサルタントとしての経験があったり、共同代表の雨宮は難民支援の領域でシリアやケニア、ウガンダと共に専門家としての実績積んできたりと、様々なノウハウがあります。
そのため、仮に当初のアイディアが上手くいかなくても、もう少し普遍化させていけばどこかで当たるだろうと考えていました。
多少不安はありながらも、動き出せばなんとかできると思って起業に踏み切りました。
あとは、周りの方の支援も大きかったです。
例えばGIS研修は、協力隊員時代からの恩人が声を掛けて頂いたことがきっかけでスタートしました。
GIS研修を支援してくれている小林さん((過去にCococolor Earthさんでインタビュー記事があるのでそちらも是非ご覧ください))や、筑波大学の方々、国際協力セミナーに携わってくれている友人など一緒に動いてくれる方々には本当に感謝しています。
起業するまでにどのような準備をしましたか。
最初はビジネスモデルを考えては潰し、考えては潰しの繰り返しでした。
ターゲット国は最初の時点である程度絞り込んでいたのですが、ビジネスモデルがある程度固まったところで再考し、絞り込みを行いました。
ターゲット国を絞った後、特にしっかりとやったことは現地のニーズ調査です。
実際に幾度かその国を訪れて、現地の関係者と面談をし、彼らが抱える課題や現地で展開されているサービス、現地市場で出回っているものなどについて情報を収集しました。
彼らが求めているものを聞き出すには、やはり人間関係の構築が不可欠です。
徐々に信頼関係ができ、建前でなく本音で課題を話してくれるようになり、こちらがそれに対する提案を考え、その実現に向けた課題を整理しました。
すると、起業に対する不安は徐々に解消されていきました。
コロナウイルスの影響はありましたか。
私が帰国したのが2020年の2月末でちょうど日本で新型コロナウイルスが流行し始めた頃でした。
日本での起業準備は3月からであったため、コロナの影響を大きく受けて、当初案からは変更を余儀なくされた事業がありました。
コロナ禍で全てが理想通りには進んでいるとは言えませんが、そんな状況下でも小規模だからこそできる環境に都度順応するアプローチがスタートアップでは大切な能力なのだと思います。
次回予告
実際に半井さんが経験して感じたODA業界と民間セクターのメリットや難しさ、キャリアに悩む読者へのメッセージをお届けします。