高校入学を一度あきらめた彼はなぜNPOで働くのか#2~認定NPO法人フローレンス岩井純一さん~
今回のゲストはフローレンスの岩井純一さん。
実は中学時代は今の姿からは想像もできないほど荒れていたそうです。
どうやって自分を変えていったのでしょうか。
社会課題に興味を持つきっかけは高校時代にありました。
岩井純一
認定NPO法人フローレンスにて広報やプロジェクトマネージャーなどを担当。
学生時代は国際協力を専攻し、主に東南アジアの子どもたちの支援に携わる。
その後、日本の子どもに関する社会課題に関心を持ち、教育コンサル、人材派遣、制作プロダクションを経て、フローレンスに参画。
現在は、本職であるフローレンス以外にも、マギーズ東京での広報ファンドレイジングやNPOコミュニティ運営など幅広く活動している。
*本インタビューは2020年9月時点での取材内容となります
これまでの人生と2つの転機
人生の転機になった出来事はありますか?
二つあります。
一つは中学三年の時の出来事です。
当時、私はどうしようもないほど荒れていました。笑
まともに学校にも行かず、勉強もせずに過ごしていて、高校にいく気もなく、そのまま中卒で終わる予定でした。
そんなときに大切な人を亡くしました。
その人はどうしようもない自分といつも向き合ってくれていて、本気で想って、怒ってくれる人。
優しくて、頭も良くて、素晴らしい人だったのに、人生の終わりを迎えてしまい、一方で自分のような人間は変わらずに生きている。
その時に「このままではダメだ」と思ったんです。
そして、まずは高校に行こうと思い、中学三年の12月から受験勉強を始めました。
必死に勉強して、公立高校を受けましたが、予想通り落ちてしまい
特に気にすることもなく担任の先生に報告しにいったら…
「あなたならできると信じていた」と、今まで叱って、守ってくれた担任の先生に目の前で泣かれてしまいました。
ずっと自分を信じてくれた人の想いや期待を最後まで裏切ってしまったことに対して、本当にこのままだとダメだと思い、そこから必死に勉強して、なんとか高校にいくことが出来て、自分にできることを探していきました。
高校時代
これまで自分が人に迷惑かけていたので、誰かのために何かしたいと高校1年生の時に思って、それはなんだろうと考えてボランティアだと思いました。
たまたま私が行った高校にボランティア部があったので入ってみたんです。
介護施設や、子どもたちのいる施設に行ったりして、そこで初めて世の中にたくさんある問題の一部を知りました。
そんな時にたまたまニュースで途上国や紛争国のことを知って、私より小さい子どもたちが飢餓状態であったり、生きてることもままならない現実があることを知って衝撃を受けたんです。
なんでそんなことがあるんだろうと自分で調べたり、当時は新潟にいたんですけど、東京に行ってNGOやJICAの人に話を聞きに行ったりもしました。
そこで、「国際協力」と言うことに興味を持って、調べたり行動を起こしていきましたね。
振り返ると、ボランティア部で色んな社会課題があるのをぼんやりながらも知ったのが今に紐づいているなと思います。
大学時代
もう一つ人生の転機は、大学時代に行ったバングラデシュでの出来事です。
知り合いと一緒にNGOを立ち上げてバングラデシュで活動をしていました。
その時に訪れたある村は、日本人だけでなく、今まで外国の人が来たことがなく、私たちが初めての外国人でした。
村を上げて歓迎してくれて、「こんにちは」「ありがとう」などの日本語を覚えてくれました。
歓迎会での村長さんとの会話がとても強く残っています。
「私たちにとって、この村が世界の全てです。
世界は広くて、色んなことが起こっていると思います。
でも私たちはこの村を出ることはないし、自分たちもギリギリの生活なので、大変な思いをしている人たちのためにできることはないと思います。
でもあなたたちは違います。
誰も見向きもしなかったこの村に来てくれました。
私たちと出会ってくれました。
私たちにとってはそのことが本当に嬉しいし、幸せなことです。
どうか沢山の世界を見て、沢山の人と出会って、私たちみたいな人間がいることを知って、伝えてください。そして、可能ならその人たちのためにできることをしてください。
私たちを知ってくれて、出会ってくれて本当にありがとうございます。」
ただの大学生でしかなかった自分たちにもできることが、やるべきことがあると本当に思った出来事でした。
今は見たことを、知ったことをSNSなどを通して個人も発信をしていけるからこそ、知った人間として、それが出来る人間として、伝えないといけないと思っているし、大事にしたいことです。
大学卒業後の進路
卒業後の進路はどのように考えていましたか?
大学は国際協力を集中してやっていたので、この先も国際協力をしたいと思っていました。
でも、国連などの国際機関に行けるほどの学力も英語力もないし、NGOも考えていましたが…
当時は自分で起業するのもあまり考えられない時代だったので、まずは普通に就職をして、ゆくゆくは国際協力を本職にしようと考えていました。
卒業してすぐにでも、できることはあるけれど、色々な世界を見ておくべきだなと思ったんです。
社会には色んな人がいて色んな価値観があるので、様々な意見、考えを知っていた方がゆくゆく国際協力の方面に行くとしても活かせる思考や視点があるんじゃないかなと。
そうした方ができることも増えるだろうなと思って、まずは一般企業に就職して、できることからやっていきたいなと思っていました。
新卒で勤めた教育コンサルの企業は3ヶ月、次に人材派遣ベンチャーに1年半、その後番組制作を行うプロダクションで7年ほど働いて、4年半前からフローレンスで働いています。
今までの全ての経験があったから今があります。
2社目の人材派遣会社はベンチャーだったので、色んな仕事を任せてもらい、マネジメントもやらせてもらいました。
色んな人を見て、その人に合った選択肢を提案する、この経験は今プロジェクトマネージャーをする時にも生きています。
プロダクションにいた時は、どのように伝えたら必要な人に情報を届けることが出来るかなど、マスメディアの情報発信を学んでおけば、後に必ずNPOやソーシャル業界でも活かせるなと思いながら過ごしていました。
NPOなどはまだまだ情報発信が弱いですし、そこで私はマスメディアで学んだことを活かせているので、これまでの経験は必要だった思います。
世界の問題から国内の問題へ
世界から国内の問題に目を向けたのはいつ頃ですか?
国内の社会課題に目を向けたのは社会人になってからです。
社会人になると、ニュースなどに、より目を向けるようになってきて、7人に1人の子どもが貧困状態にあるとか、2週間に1人の子どもが虐待で亡くなっているなど、国内の社会課題を知りました。
日本の社会課題を知った時に、これは誰が取り組むんだろうと思ったんです。
世界にもたくさんの課題があるけれど、途上国や紛争国には日本以外にも先進国の支援が入ってくる。
でも日本の課題は気づいた日本人が取り組まないと、誰も課題解決に取り組まないのではと思いました。
日本の課題は外からは見えにくいし、先進国である日本に海外からの支援が入るのは災害支援の時などで、他の支援はあまり入ってこない。
私は気づいたんだから、気づいた人間として国内の課題に取り組みたい、やらないといけないと思いました。
そう思う人が増えていかないと日本の課題はどんどん見えないものに、無きものになっていくと気づいた時に、“僕は海外じゃなくて国内をやりたいな“って思考がチェンジしていきました。
ーーーーー次回予告ーーーーーー
“気づいた人が動く“この想いで
世界から国内の課題に目を向けた岩井さん。
最終章では望む未来をはじめ、進路に迷う学生の皆さんへのアドバイスをいただきました。
お楽しみに!