薬学部卒からアフリカで起業。その経緯とは?〜#2株式会社Darajapan角田弥央さん〜
今回は、大学では薬学を専門に勉強しながらも、アフリカで起業をされた角田弥央さんにインタビューをしました!
どうして薬学部を卒業後に、起業家になったのか?
なぜ人の可能性を広げたい、という志を持ったのか?
第二弾では起業に至るまでの経緯に迫ります!
角田弥央(つのだみお)
明治薬科大学薬学部卒業。
在学中はエジプト・英国留学を経験。
新卒で人材系の企業に就職し、10ヶ月勤務。
2020年1月に退職し、エンドレス株式会社取締役に就任。
タンザニアにて起業家として株式会社Darajapanを立ち上げる。
*本インタビューは2020年10月時点での取材内容となります
なぜ薬学部へ?
なぜ薬学部に進学しようと思われたのですか?
高校生の時にいろいろなことが重なって、うつ病になった経験がきっかけでした。
当時お世話になったお医者さんは、薬ではなく食生活を改善する、運動習慣をつける、自分を見つめるワークなどして心のケアをしてくださりました。
初めは「どうして薬を使わないんだろう」と疑問に思い、そこから”薬とは何か”を考えるようになりました。
また、薬学部というと『薬の専門家』というイメージが強いと思います。
しかし、薬の開発のために専門的な臨床薬学だけでなく、栄養学や公衆衛生、さらには統計学や物理化学まで、ここではお答えするのが難しいくらい、幅広い分野にまたがって勉強します。
このように広く難しい領域を勉強できる「薬学」という学問に興味を持ちました。
「薬剤師になりたい」「患者さんの命を救いたい」という想いから薬学部に入ったわけではなかったので、大学に入ってからは日々の試験、臨床実習、研究、国家試験の勉強には本当に苦労しました。
薬学部に通いながら、なぜ「人の可能性を広げる」という志を持ったのですか?
大学生の時に行ったインドネシアでの経験がきっかけです。
一時期やりたいことがわからず、「自分にとって何が大切なんだろうか?」わからなくなっていました。
その中でインドネシアのとある村に行き、楽しそうに生活をする現地の人々に出会いました。
彼らはお金がたくさんあるわけではないし、住んでいる場所も衛生環境が整っているわけではない。
わざわざ何時間もかけて島と島を行き来して、出稼ぎにいく。
そんな中でも自分と同世代の人々が「将来は医者になりたい」「家族を養うためにエンジニアになる」と現状に固執するのではなく、未来に想いを馳せていました。
日本という地にたまたま生まれ、恵まれた環境にいながらも希望がなくなっていた私とは対照的だったので、衝撃を受けたのです。
そこから途上国に興味を持ち、何か想いを持った人たちのためにできることをしたいと思うようになりました。
もともと途上国支援には興味はあったのですか?
インドネシアに行くまで全く興味はありませんでした。
そもそも、貧困や飢餓、衛生環境が悪い地域が存在する、といった悲しい現実があることさえ知りませんでした。
私は、誰かの役に立っていると実感できるとエネルギーが湧いてくるタイプなので、現場を自分の目で見て、使命感をもって「この人たちの役に立てるのでは?」と実感できたから興味を持ったのだと思います。
起業への経緯
どのようにして起業をされたのですか?
アフリカにルーツを持つ方々と関わりを持つ中で自分にできることを見つけ、その手段として起業するに至りましたね。
もともと学生時代から、自分の知らない世界を共有してくれる人たちと話すのが好きで、日本で出会ったタンザニアの友人とたまたま仲良くなりました。
彼らの視座は常に高く、普段話さないような内容を共有し合えて大変刺激を受けました。
そんな彼らとコミュニケーションをとる中で、お互いの知識と経験を生かしてアフリカの課題を解決できないか、という話もするようになりました。
その話の中で、「私にもできる」と実感するようになりました。
また、普段から薬学部で学んだことを生かして、お小遣い稼ぎ程度ではありますが、海外旅行者向けに一般用医薬品のカウンセリングや医療分野のリサーチ案件を請け負ったりしていました。
そこで自分で何か事業を創ることも小さくではありますが経験してきたので、会社を立ち上げて挑戦してみよう!と思い、起業に踏み切れました。
次回予告
インドネシアにバックパックをしたり、アフリカ人とコミュニケーションをとったり、アクティブな活動をする中で自身にできることを見つけた角田さん。
第三弾では、薬学部では得られない経営やビジネスの知識と、ネットワークはどう得たのかお伝えします。
起業に興味のある方は必見です!