僕の名前はBIKAS(発展) #2 NPO DREAM-Hack 代表 菅勇輝さん
今回インタビューさせていただいたのは、NPO法人DREAM-Hack代表の菅勇輝さんです。
第二弾では、BIKAS COFFEEの名前の元になった、菅さんのネパールネーム「BIKAS」の謎に迫りつつ、菅さんの過去を紐解いていきます。
菅 勇輝
大学生の時にネパールに学校を建てるために学生団体を立ち上げ募金活動を行う。目標金額を集めるものの、現地のNPO団体からの連絡が途絶え、結局お金が行き届かない結果となる。
大学卒業後、ベンチャーの広告会社に勤めるものの、入社一年後に高梨沙羅選手のガッツポーズに魅せられて、会社を退社しネパールで国際協力活動を再開する。
*本インタビューは2020年6月時点での取材内容となります
行動力の原点
学生時代に国際協力の活動を多く行ってきましたが、その原動力はなんでしたか?
当時の動機は、「世界を変えたい!」とか「大学生だからやりがいのあることをしたい!」という、ごくごくありふれたもので深い意味はなかったように思います(笑)。
行動することに対して敷居が低いのはなぜですか?
DREAM-Hackの信念価値観でもある、「誰かの期待であれ」が一番の価値観になっています。
3歳から7歳までアメリカで育って、その後日本に帰ってきたんですよ。
そのときに、日本の子どもたちにはアメリカから来た転校生って見られたんです。
周りからは「英語喋って」と言われて、答えると「おおっ」と喜んでもらえました。
それが誰かの期待に答えるというか,
人を喜ばせるというか。
まあ、承認欲求なんですけど、誰かの期待に答えることによって自分の存在意義を見出していたんです。
でも、大学に入って英語だけでは周りの期待に答えられなくなりました。
僕は英語系の大学だったんですよ。
そこの大学では誰でも英語が喋れて、他に自分が誰かの期待になりたいという想いになりました。
そんな時、カンボジアの大学を建てる映画を見て、「これだったら誰かの期待になれるかもしれない。」と思い学校を建てる活動を始めました。
最初は「世界変えたい」って想いだったのですが、現地でいろんな人と関わる中で自分の名前を呼んでくれる人たちがそこにはいて、それだけで誰かの期待になれてるじゃないかと思えました。
承認欲求を満たすという低俗的なものではあるんですが、誰かのためになることで自分も輝くし、それが結果的に誰かの役に立っていて、社会の役に立っているならいいやんっていう原動力だったと思います。
現地の人に名前を呼ばれるとは?
それには、一番のストーリーがあって。ネパールに行くとネパールネームが絶対に付けらます。
僕の場合は「BIKAS」で、意味は「発展」です。
最初に行ったときは、現地の家にホームステイさせてもらったんです。
ホームステイ先には中学一年生の男の子がいて、彼は外国人と会うのが初めてでした。
彼は、キラキラした目でいろいろ世界のこと聞いてくれたんですよ。
最後、別れるときに男の子が、「BIKAS決めたよ。BIKASのように世界で活躍できる人になりたい。だから自分の好きなエンジニアを日本でする。日本に行って親孝行したい。」と、そのような夢を持っていただきました。
結果的に、僕が活動していく中で彼はめっちゃ勉強して田舎から出てカトマンズの大学に行き、今はもう日本の勉強済ませて今年の夏から来る予定です。
※今はコロナで来れない
一人の人生を変えれたのは、誰かの期待になれたってことだと思います。
就職を経てもう一度国際協力を選んだ理由
「学生だからできない」という言葉をかけられた原体験がある中でなぜ就職を選んだんですか?
休学一年してるんですけど、それを言ったときに親から反対されたんですよね。
早く社会人になれと。
それで、就職する前に大学で自分がやりたいことをやらないと就職はしたくなかったので、一年だけ期限つきの約束して休学しました。
まあでも、自分としても経済的な面でも、精神的な面でも自立してない中で、自分のしたいことをやるのは無理だなと思ってたんですね。
まずはそういう意味では社会に出て自立して、自分のやりたいことをするっていうイメージを持って就職しました。
就職して、2年後にDREAM-Hackを設立したそのきっかけになった出来事について詳しく教えてください。
1年目は大きく変わった日常に適応するのに苦労し、仕事だけで精一杯でした。
転機は入社1年目の後半に、平昌オリンピックに出場している高梨沙羅さんのプレーを観ていて、競技中に彼女が見せたガッツポーズを目の当たりにして僕も挑戦しようと思ったんです。
高梨沙羅さんのガッツポーズに何を見出していたのですか?
4年前彼女にとっては、金メダル候補と呼ばれた中で不調で取れなかったんです。
それで彼女は、この4年間必死にもがいてやってきました。
最後のジャンプで彼女が着地してガッツポーズをしたんです。
それは順位が決まったガッツポーズじゃなかったんですけど、自分自身に勝ったというか、自分自身へのご褒美で生まれたガッツポーズだと思ったときに、僕はこのガッツポーズを今の環境でできるのかと思ったんですよ。
それで、過去に「やったー」と思えたことは、学校建設を続ける中で目標金額が集まった時とか嬉しかったのを思い出しました。
本当にその時は向き合ってたんです。
自分が「やったー」と思える場所はネパールや国際協力にあるなと思いました。
「やったー」って稚拙なんですけど(笑)。
自分はジャンプ台にも立てず、観客席にいる傍観者だなって思ったんで、傍観者にはなりたくないなと思いました。
自分もジャンプ台から飛んで、自らガッツポーズがしたいです。
「残りの人生ハッピーになりたいな」って思ったのがそこから読み取れたものだと思います。
第二弾も読んでいただきありがとうございます!
第三弾では、菅さんのネパールに対する想いや人生の相棒についてお聞きします!